yasu-lifeの片耳難聴日記

山あり谷あり、七転び八起きの人生、苦しみながら今も小さな幸せを噛み締め生きている。同じような境遇の方に読んでもらえたらなと思います♪ 片耳難聴、群発頭痛、足底筋膜炎に悩まされています。

更に悩まされてた病気

もう一つ20代中頃から悩まされてきた症状があります。胸焼け、みぞおちの痛み、吐き気、嘔吐、倦怠感です。胃カメラやエコー等あらゆる検査を受けましたが原因がわかりません。あらゆる薬も試しましたがこれといった効果のあった薬もありません。
逆流性食道炎等言われましたがはっきりした病名もわかりません。この病気も難聴、頭痛と供にずっと苦しまされてる病気です。

子供が生まれる

片耳難聴になり不便で辛い生活が続きましたが良いこともありました。
子供が生まれました。初孫であり何よりも両親が喜んでくれました。
命の偉大さも感じることができました。
生まれたての頃はあまり実感は湧かなかったのですが喋るようになってきて子供が居る実感をとても強く感じるようになりました。
今現在も子供の成長が何よりも楽しみになり生き甲斐となっています。

幸せな生活から病気との闘い

某大手企業へ転職しそれなりの収入も得て、貯金も貯まり結婚もしました。
結婚式は挙げたくない気持ちが高かったのですが、挙げてみて本当に良かったなと思いました。一生の思い出になりました。
親と旅行に行ったり幸せを感じていました。
そんな時、突如耳鳴りめまいと供に耳が聴こえなくなりました。その時すぐに入院しておくべきだったと今でも後悔しています。
中々治らず後々に入院もしましたが結局手遅れで治りませんでした。
今現在も耳鳴り難聴で苦しんでいます。
聴こえない不便もありますがそれ以上に耳鳴りがすごすぎで苦しい時があります。

某大手通信会社へ転職

郵便局での仕事をがむしゃらに3年程続けていましたが給料の少なさや、当時まだ郵便局が公務員だった頃の自分の契約社員とのあまりの退屈の差に転職を考えるようになりました。
そして知り合いの紹介で某大手通信会社の面接を受け契約社員とですが就職することになりました。

郵便局での仕事

郵便局での仕事は外勤の集配業務で週6日の仕事でした。
夏は暑く冬は寒い、そして何より雨の日はバイクでの配達だった為たいへんでした。
それでもがむしゃらに働きました。また何もしない生活で親を悲しませるのが嫌だったからです。

ニートへ

就職が決まらなく結局ニートになってしまいました。
親を本当に悩ませ悲しませました。
自分自身も本当に情けなく思いました。

何もすることの無い生活が続きこのままでは駄目だと思っている時な郵便局の仕事のハガキがふと目に入ってきました。
応募し面接を受け働くことになりました。

専門学校生活

専門学校に入学し新しい生活がスタートしました。
高校生活は本当につまらなかったのですが専門学校は自分に合っていたのか楽しかったです。
勉強し資格も取り友達の紹介で彼女もでき、とても充実していました。
ただ時代は究極の就職難でした。CGクリエータコースという特殊なコースだったこともあり中々就職が決まりませんでした。